開局40周年

中学2年生になったばかりの春休み,昭和55年の4月期の国試を受け,それに合格して電話級アマチュア無線技士資格を取得しました.

小学校5年生のときに雑誌『初歩のラジオ』でBCLを知り,父親の持っていたラジオ,ソニーICF-5500で試しにチューニングしてみたラジオ・オーストラリアを聞くことができすっかり魅了されました.自分のラジオを入手(松下・プロシード2800)して部屋の天井に電線を這わせて画鋲で止めてラジオを聞いていました.中学ではBCLクラブを作って夏休みに合宿したり.

ようやくハムになりましたが親からは高校受験が終わるまでは開局は禁止されていました.しかし受験が終わったらすぐに電波を出したいと考えてタイミングを見計らって開局申請を提出.受験が終わってしばらくした頃,免許状が届き,免許状の年月日は昭和57年3月1日でした.いろいろあって初めて電波を出したのは3月17日ですが,私としてはこの免許の年月日 3月1日 を開局記念日としています.覚えやすいし.

IC-502A と テレビアンテナのマストを拡張してその上に取り付けたヘンテナフォークでハムライフが始まります.高校生活のスタートとだいたい同じタイミング.田園都市線沿線の県立高校でアマチュア無線部もありましたが入部はしませんでした.当時横浜に住んでいたので JA1ZQA まわりをちょろちょろしていた同世代と仲良くなって夜な夜なラグチューしたりしていました.4月の終わり,ALL-JAの前あたりでしたが,初めてのEスポ体験は感動しました.バンドがザワザワして遠くのエリアが聞こえて,あちこちで読んでいる音が聞こえて,そのうちにすーっと静かになってしまう空気感をよく覚えています.
高校1年生の夏休みに親戚のやっている電気店で住み込みでアルバイトして,もらったアルバイト料でピコ2を買いました.アンテナは室内に画鋲どめした300Ω平行フィーダで作った Slim Jim です.そんな設置でも横浜から筑波山移動局とQSOできたりしました.
高校1年生の9月期の国試で電信級を取得.ほそぼそとCWも始めます.移動局を呼ぶぐらいでした.

ただ100%無線三昧かというと必ずしもそうではありませんでした.最初に見たのが『初歩のラジオ』でその後は(小遣いの関係で)不定期購読を始めたわけですが,そこに載っていた無線も電子工作もオーディオもマイコンもぜんぶ興味を持ってしまったのです.可処分時間と可処分小遣いには限りがありますから,アマチュア無線も one of them で,割かれる時間と費用も限定的です.バンドもやっていたので楽器代にスタジオ代,エフェクタは自作していました.バンドの練習のあとのドムドムバーガーを断って紅葉坂に行くとかしていました.
これについては今もそうです.電気・電子工作のなかのひとつのジャンルとしてのアマチュア無線という位置づけです.
年間QSO数は開局初年度で300局ぐらいかなぁ.大学入試や他が忙しいと年間数QSOということもあり,だいたい多くても200局/年ぐらいの隠れキャラポジションです.

私立の理系の大学に進学します*1.無線部がありましたがコンテストに力を入れているというわけでもなく緩い感じ.クラブ自体は戦前からの歴史の長いところで,OB名簿を見ると戦前コールサインの人がたくさん.しかし付属の高校のほうが戦後のクラブコールサインも早く,コンテストガチ勢でした.大学の無線部はゆるくて付属高から大学の無線部にはあまり入らないといった感じ.無線と冠しながらコンピュータやオーディオや電子工作もやっていてそっち目当ての人も多い感じで,そこに入部しました.入ってみると年の半分はクラブ総出でやっていたアルバイトに注力で,設備がリッチで資金潤沢な理由もよくわかりました.まあこのあたりはネットに書くのもなんなので割愛します.
ゆるい無線部との相乗効果で自宅の方は徐々に拡充していきます.

実家住まいでしたが大学に入ってまもなくタワーを建てました.KT-12Rだったかな.上には6mの6ele YAGIを揚げました.しかし無線機はIC-502A 3Wのままでした.それでもグランドウェーブの伸びを感じて嬉しかった.無線部だったので無線部の連絡用に430MHzのFMトランシーバを買いました.TH-41だったと思います.実は年次の近い先輩にケンウッドに勤務されている方がいたのでクラブの連中はしばしばお願いをしていたのでした.430MHzのFMハンディトランシーバとシャープのポケコンはしばしば買い替えていた記憶があります.アルバイトは家庭教師ぐらいでした.大学のときは音楽バンドはやっていなかったのでそちら方面に費用はかかりませんでした.大学2年の春休みに2アマの4月期国試を受けました.まだ送信術があって試験は記述式でした.ちょうど電磁気の授業で勉強したばかりのアンペールの法則あたりの問題が出ていたので周回積分まで使って記述できました.
2アマを取ったのでHF機を購入*2.クラブの先輩からFT-101ZDの中古を安く譲ってもらいました.アンテナは21MHzの3ele HB9CVを揚げました.このときに3月1日の当初開局局を固定局に変更して新たに移動局を開局しました.昭和61年8月20日の日付でした.当時の開局資料を見ると IC-502A,ピコ2,TH-41 でした.これが現在の継承局となっています.
クラブの先輩がアメリカ出張でTAPRのパケットTNCの生基板を買ってきたのでクラブの電子工作スキルの高いやつが組み立てて,ほどなくタスコのTNCも一般的になってパケットブームになりました.一時はPC-9801F2を2台ほどRBBS運用に充てたりしていました.クラブでは無線パートのパート長をやっていました*3.パケット関係でお知り合いになった県立高校ハムクラブのRBBSの常連ユーザの皆さんと宴会したり,ZQAの公開に行ったり,PRUGの会合に行ったり.部員が横浜市白山のレピータの周波数で問題を起こして*4その年の年末の納会に謝りに行ったこともありました.
無線部だから身の回りは無線資格保持者だらけ*5でしたし,ちょうど「わたスキ」映画のあとぐらいの理系の学部なのでクラブ以外でも無線資格保持者は掃いて捨てるほどいました.クラブ連中で遠出するときは無線は必ずある.車に4人乗っていたらハンディ機は6台あるような状況でした.
ハムパート長は代替わりをしましたが,在学中に部室棟*6の建て替えということになったときに後輩が頑張ってくれて屋上に立派なタワーを建てるに至りました.

修士課程に進んだぐらいがアマチュア無線関係はいろいろとやっていた感じです.専門学校の講師と雑誌の連載記事執筆で得た資金を惜しみなくつぎ込んで無線機とパソコンは増えるばかりでした.研究室の先輩が私の影響で無線局を開局.7K1Axx でした.その先輩と一緒になって移動運用したり,先輩が見つけたオフィス用品のリユース店でPC-9801を物色したりミニFAXを仕入れて改造してアマチュアミニFAXをしたりしていました.ついにはPanaFAX3000まで手に入れて遊びはじめます.この頃にはHFはFT-101ZD,TS-440S,あとピコ21も買いました.50は IC-502A,144はピコ2とTH-K27,430はTH-41~TH-45~TH-F47~TH-K47,TS-811D,TM-411D,1200にTM-531と見事にケンウッドがドミナントになりました.あ,あと50MHzにクラブの後輩が作ってくれたリニアアンプをあてがってIC-502A+リニアで35Wぐらいまで出るようになりました.単体のIC-502A 3Wで8年ぐらい引っ張ったことになります.この頃は頻回に変更申請を出していました.Candy3で送信機系統図図面を描いてね.アンテナは50MHz 6ele,21MHz 3ele HB9CVのまま,144/430/1200MHzのGPが2本.144MHzの Slim Jim もまだありましたが「他フレンド局待機しております」に馴染めず…
オンエアの中心は50MHzと21MHzでした.TS-440Sのアンテナチューナでときどき3.5とか7にも出たことはあります.タワーが有ったのにワイヤアンテナをいろいろと試してみるということもあまりしませんでした.今の状況からすると恵まれた環境だったのにもったいなかったですね.
そういえばソヴィエト崩壊のときは地下放送が流れました.NHKで映っていた無線機の周波数に合わせたらなにか聞こえたのでどきどきした覚えがあります.BCLやハムでないとなかなかできない体験ですね.
在学中の研究の学会発表でハワイに行ったときに ピコ21で KH6/JO1MMI を運用しました.八丈島の1局しかお相手いただけなかったですが.

電機メーカーに就職しても数ヶ月はこんな生活でした.会社の無線部もありました.入部はしませんでしたが,身の回りには現役ハム,元ハム,スキーだけハムなどたくさん.JARLの終身会員費用を払ったのもこの頃でした.
しかしだんだん仕事が忙しくなってくると電波伝搬的に美味しい時間に運用できなくなってきます.6時に家を出て0時ぐらいに帰るとかいうのが続くと無線も難しいです.そのうちに実家から引っ越してタワーにアクセスできなくなり,環境は激変します.しばらくは移動運用で遊んでいましたがなかなか時間が取れなくなってきます.
寝かせておいても無線機は腐ってしまうのでリストラ*7を断行,固定局(3月1日局)を廃局して移動局(8月20日局)を存続,手元には就職後に買った IC-X2 *8と TH-F7 *9 だけになりました.実家のタワーもその後の海外留学*10のタイミングで撤去しました.

その後はしばらく低迷状態に入ります.趣味活動自体は全開ですが,アマチュア無線のボリュームが大きく下がりました.アマチュア無線活動は仲間内でしゃべる,ツーリング時にしゃべる,ときどきCQ誌を買う,気が向いたらハムフェアに行くぐらいになっていました.ハムフェアは知り合いに会いに行く感じ*11.もちろん局免を落とすようなことは決して無いのだけれども,それでもやはりSSBやCWや無線関連工作をしていないとアマチュア無線をしている感じがあまりありません(個人の感想です).さらに別の住まいに移り,ラグチューする仲間も遠くなりました.バイクも乗らなくなったし.なんか異様に無線の入りが悪いし,アンテナを出すのは以ての外,そんな住まいです.さらに無線が遠のきます.それまでも受験や学業の波で年に数局とか丸1年ログが飛んでるとかありましたが,今回はちょっと長かった.それでもときおり電子工作の対象として舞い戻ってくることもあり,GPS関連工作に嵌ったときにはナビトラビーコンを作って実験したり,ワイヤレスマイクを作ったりしていました.それでも基本的にはアマチュア無線ではない電子工作に没頭.20数年はある電子工作コミュニティの活動にコミットしていました.

アマチュア無線のボリュームが増えるきっかけとなったのはDVB-Tドングルを使ったSDR受信です.最初のうちはFMのワイド放送などを聞いていましたが,仕舞われていた144/430/1200MHzのノンラジアルホイップを出してきてハムバンドを聞きました.ほとんど何も聞こえなくて大変びっくりしました.住環境が心底アマチュア無線に向かない環境であると気づくのはもう少しあとのことです.それでも関東UHFコンテストをDVB-Tドングルで聞いて「ほう,1200MHzもCW/SSBにこんなに出てくるのか,そういえば以前の環境では1200MHzはFMとパケットしか出ていなかったな」 そしてIC-9700を知ります.50MHzに未練が有ったのでまずはIC-705を注文しました.が,バックオーダー多で入荷が遅い.先にIC-9700が届きます.IC-9700が50MHzに対応していたらその1台で止まっていたかもしれません.IC-705でも遊んでいますがイマイチ飛ばず*12,頭に「QRO」という言葉がこだましてIC-7300Mを買ってしまいました.昔はIC-502A 3Wやピコ2の200mWで何年もやっていたのになぁ…

我が家のアンテナは窓の直外やベランダアンテナを試しますが調整がたいへん難しいです.そういえば今までは平衡型のアンテナしか使ってきませんでした.モービルホイップもVUのノンラジアルばかりでした.初めての 1/4λ を皮切りに各種アンテナに取り組むことになりました.教科書や巷の情報をもとにアンテナの調整を図ってもことごとくうまくいきません.逆張り*13したほうがSWRが下がることもしばしば.たまに近所の公園でアンテナを揚げてみて「アンテナの回りに空間があると教科書どおりに動くんだ!」とか感動しています.加えて運用制約がいくつかあって,ベランダ側アンテナは運用の都度に設置しなければなりません.調整を追い込むこともできず「10分間で仕度しなっ」というインスタント設置が求められます*14

そんなこんなで「今日もアンテナ出せないなぁ」「今日も飛ばないなぁ」などといいながら嬉々として次はどういう工夫をしようかと考えながら,41年目に突入しました.

*1:2年時に学科確定するシステムで,のちに電気工学科に進みました.

*2:なぜか自分の中でHFは電信を取ってから,新モードは2アマを取ってからという拘りがあったので.初級にもモード解禁されていたのにね.いや,単にお金がなかったからかもしれませんけれども.

*3:コンピュータとかオーディオとかパートごとに長を定めていました.

*4:スタンドマイクに誤って荷物が乗ってPTT押しっぱなし電波を出しっぱなしにしてしまった.

*5:4アマぐらいは取るような空気はあった.

*6:入学当時はプレハブ平屋だった

*7:このときに処分したBird 43型電力計は惜しかった.

*8:就職後に購入.久しぶりに買ったケンウッド以外の無線機でした.電池の液漏れで電池ボックスはだめになってしまいました.

*9:なにかのおりに大学のクラブの先輩にもらったもの.先輩はほどなく亡くなってしまいました.

*10:行った先では無線の免許は取りませんでした.教科書は買ったのだけど他が忙しくて…

*11:大学のクラブで修士に行くときに大学を移ってJA1ZLOに入った人が居て,あそこは修士課程でも入れるんだとか思いました.

*12:それはアンテナのせいだったのですが.

*13:カウンターポイズを短くするとか張らないとか

*14:運用時間も限られるためパイルに参加して呼ばれるのをのんきに待っていることがなかなかできない状況にあって,FT8は大変にありがたいです.交信しなくてもPSKReporterで取り組みの確認ができます.